(3)
祭りの日は夏の名残を残しながら、浮かぶ雲に近づく秋を感じる気持ちのよい晴天だった。一平と吾助夫婦、トリトンは小高い丘にある神社についた。すれちがう人々の中でトリトンを見て何か言っている様だったが、トリトンは無視しようと決めた。
「トリトン、遅いぞーー、健一が首を長くして待っているんだ」
境内に入るなり、ヤスオがトリトンの腕をつかんだ。
あ・・一平さん、吾助さん、こんにちわ」
ヤスオは一平達に気がついて、あわてて頭をぴょこっと下げて挨拶をした。
「ヤスオも子供相撲に出るんじゃろう?頑張れ」
一平がヤスオに葉っぱをかけ
「友達が待っているんじゃろ、行っていいぞ、わしらは勝手にやっとくから」
とトリトンの背中を押した。
「う・・うん、   行ってきます。」
ヤスオに引かれ、トリトンは神社の奥にかけていった。そんな二人を三人は嬉しそうに眺めていた。

「健一が待っているって?」
「なんだか手伝って欲しいことがあるんだってよ。」
二人は靴をぬぎ、社の奥に入っていった。
「二人ともこっちこっち」
健一が手招きした。

神社内の木立の中にある、ちいさな広場に直径4m弱の土俵が作られ、子供たちが次々と取り組みをして、親戚や地区の大人たちから大きな声援が送られ、勝負がつくごとに笑い声やため息で湧いていた。
その喧騒からはなれた社の一室に中にトリトン、ヤスオ、健一はいた。
「やっちゃん、トンちゃん、勇気試ししてみない?」
健一が探るような目で二人をみた。
「どういうこと?」
トリトンは目を丸くして言った。
「誰も見たことのないものを見たくない?」
さらに健一がこれに加わらないのはいかにもいくじなしだというような顔をしていった。
「あの部屋の真ん中、白い布にくるまれたものがあるだろう?あれ、いつもは奥にしまってあって、祭りの時だけ出すらしいんだけど、布に包んでだれも見ようとしないんだって。罰(ばち)があたるからって・・でも、そんなの迷信さ。ねえ、今は絶好のチャンスだよ。」
健一はいつも以上にメガネの奥の瞳をキラキラさせて二人を見た。
「迷信なものか。父ちゃんが、それを見た人はみな沖で遭難したっていってたぞ。」
ヤスオは健一をチラッとみて、深呼吸しながら言った。
「とにかく俺はそれどころじゃないんだ、もう少しで子供相撲、俺の番になっちゃうから支度しないと・・そんなに見たいんだったら、自分一人で見ろよ。行くぞ、トリトン」
「冷たいなー・・僕は父さんからきつく言われているんだ、あれを絶対に触っちゃ駄目だって。そんなことするとこの神社のアトヅギニしないぞ!って」
健一は自分は触れないのが本当に残念だと少し大げさにため息をついた。
「知ったことか。俺は嫌だからな。行こう、トリトン」
ヤスオがトリトンに目を向けた。
トリトンは返事をしなかった。
じっとあの白い布に包まれた得体の知れぬものを見ていた。いつもの明るいブラウンの瞳ではなく、その奥に青い光が宿ったように見えた。
トリトンは静かにゆっくりとその布に近づいた。
「トリトンちゃん・・」
ヤスオも健一も同時に発し、顔を見合わせ、それからトリトンを見守った。
トリトンはそのものの前に屈んだ。そのものは三方の上にあった。
トリトンはしばらくそれを手に取ることの誘惑と戦っているようだった。
白い布を通し、そのものが生きているような、そんな錯覚に陥り、そっと手に取り、ゆっくり布を広げ始めた。
「トンちゃん、そっちじゃ、暗いよ、こっちの日のあたるほうに持ってきてよ」
健一が好奇心に満ちた表情で声をかけた。
「・・ああ・・」
トリトンはただ、その声の反応する方向に向き直り、2人の近くにゆっくり歩いてきた。
社の扉近く、外光が入るところまで来てトリトンはひざまづき、二人にも見えるように胸の高さまで持ち上げ、先ほどの続きというように布をはがしはじめた。
「なんだ?これは?」
健一が声をあげた。ヤスオも息を呑んで、そのものを見ていた。
それは青黒い鉱物でできたような丸く平たいものだった。
ヤスオがトリトンの後ろに立ち、前屈になってまじまじと観察しているのがわかった。
「裏のほうに不思議な模様があるようだけど・・かなり古いものだな」
トリトンは不気味に思った。誰かがこっちを見ているようだと悪寒を感じた。それでもなぜか懐かしい感じがした。手のひらが汗ばんだ。

        

ヤスオがもっとよく見ようと屈みこんだ。そのとき、ヤスオの身体によって遮られていた太陽の光がトリトンの手の中のそのものに直接あたった。
「う・・!!!」
トリトンは目を見張った。その物を強く握り締めた。
「え・・何!?」
その瞬間、3人はめまいを起こした。
いや、めまいを起こしたような感覚に襲われた。
「地震だ!!」ヤスオが「大きいぞ!」と2人を見た。
トリトンは動けずにいた。
いつもと違う様子に気づき「トリトン!」っとヤスオが手を引いた。その勢いでトリトンは手にしていたものを床に落とした。
「ああ!」
健一が受け止めようとしたが、わずかに手を掠め、床に落ち、2つに割れてしまった。
「逃げなくっちゃ」
ヤスオはトリトンと健一を安全な場所に移動させようと思いをめぐらしたが、その揺れは急速におさまった。
三人は放心状態になった。
「ああ・・どうしよう?」
健一が割れたものを呆然と見た。今にも泣きそうだ。
ヤスオは健一からそれを取り上げ、2つをくっつけるように白い布にくるみ、さっきのゆれで倒れ、ころがった三方の近くに置いた。
「こうすれば、さっきの地震でこれが倒れて、割れたことになるだろう?」
ヤスオはいい、
「早く、ここから出よう」
とトリトンと健一を連れて、急いで部屋をでた。
そのすぐ後、反対方向から小走りで駆けつける足跡が聞こえた。3人は柱の影で息を潜めた。しばらくして健一の父である神主が
「ああ!!!なんということだ!この神社のご神体の鏡が・・・!!」
と悲痛な声で呻くのをきいた。

「トリトン・・、トリトン!大丈夫か?」
ヤスオは青ざめたトリトンの肩を軽く叩いた。
「・・う・・うん」トリトンは力なく言った。
その隣で健一も元気なく顔を青くしていた。
「・・あれ、ご神体の鏡だったんだ。だから祭りのときしか出さなくて・・それを僕・・・」
「形あるものはいつか壊れるのさ!」
今度は健一を励まそうと強く肩を叩いた。
「あの地震じゃ、きっとのっけていた台が倒れただけで割れていたさ!古そうだったもんな・・それに、お前の父さんがきれいに修復してくれるよ、きっと」
「そんなもの?」
三人はそれ以上何も言わなかった。

結局祭りはあの地震で(船団パレードは津波の恐れがあるということで)中断された。
「せっかく久しぶりの祭りだったのに、残念じゃのう?トリトン」
一平は帰り道トリトンに言った。
「うん・・」
空返事をしながら、トリトンは思い出していた。あの鏡を手に取ったときの奇妙な感覚。まるで何かに吸い寄せられるように近づいてしまった。
(あれは何だったんだ・・・?何かに見られているような・・恐ろしい・・気味の悪い・・あの感じは・・・)



日本から遠く離れた北大西洋の海底深く、光も届かない赤黒い海の神殿にその目の持ち主はいた。彼はトリトンを探していた。
神殿の向こうから、とがった耳、口には長い牙をもつ、人間とは程遠い顔の者が早足で歩いてきた。
そして、その目の持ち主、巨大な神像にむかい膝まづいた。
「ポセイドン様、本日、北太平洋付近で我らが仕掛けた鏡を通し、トリトン族の生き残りらしきものが写ったとのことです」
「それはどこだ?どんな輩だ?ネレウスよ・・」
その像は地の底から響くような声でいった。
「はい、それがそやつの姿をこの地球儀に映し出し、細かな位置を探り出そうとしたところ・・異常に眩しい白い光が差し込み・・・」
「うむ・・・その光はわしも見た。  汚らわしき光よ。」
像の目が怪しく赤く光る。
「そ・・それでポセイドン様がその光めがけ力を使われたので・・」
ネレウスと呼ばれたその男は恐る恐る続けた。
「おそらくなんらかの拍子で壊れたのでしょう。通じなくなってしまいました。」
「ネレウス・・、わしのせいだというのか?」
「いえ!とんでもありません!ポセイドン様!あの汚らわしい光をこれ以上浴びていたらこちらに悪しき影響がでたやもしれません!断じてそのような・・・」
ネレウスは恐れおののき頭を伏せた。
「それより、北太平洋のドリテアを使い、また人間が手に入れやすいところに古い鏡や刀を置いておきましょうぞ・・。そして、それが再びトリトン族探索の役に立つやもしれません」
「うむ・・・まかせたぞ、ネレウス」
神像の口から大量の泡が噴出した。
「ははーー」
ネレウスは右手を胸の位置にあて、深く頭を下げた。


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