大晦日の思い出

それは私が小学1年生の大晦日の夜。
鮮魚店を営んでいた父母と叔父は大晦日の夕方までお店を開いていました。
私と弟らは一足早く祖父母の家にいき、いつもよりちょっと豪華な料理ができるのを楽しみにしていました。
自家製さつま揚げの下ごしらえは細かく叩いた魚と豆腐、卵、おろし生姜、砂糖、塩を入れ、大きいすり鉢で丁寧にすりました。小さい私の役目は大きなすりこ木でする祖母の手伝いですり鉢が動かないように押さえる役目。二人にとって、結構重労働でした。祖母や叔母たちの手でつくられていくご馳走にわくわく。
早く晩御飯が食べたくてしかたありません。
午後6時半ごろ店を閉めた父母や叔父らがそろい、関東から帰省していた叔母夫婦も加わり総勢10人以上、それに時々近所の人も遊びにきて、にぎやかな大晦日の晩餐は過ぎていきました・・

私は夕飯を食べ、食卓を離れ、隣の部屋で弟らと日本レコード大賞のTVを見ていました。
8時前でしょうか。暗い玄関のほうから
「チリリ・・・ン・・・チリリ・・ン」
鈴の音が聞こえました。
「?」
玄関に近い部屋にいた私と弟たちはその音に気がつきました。
父母の方に顔を向けましたが、気づいていないようで、皆と楽しそうに宴会をしています。
また
「チリリ・・・ン・・チリリ・・ン」
鈴の音がさっきより大きく聞こえました。
私は怖くなって両親のもとにいこうとしたとき、ガラガラっと玄関の引き戸が大きく開きました。
私と弟は目が点になりました。
目の前には全身白ずくめで白い面を被った得体の知れない二人組みがたっていたからです。
後ろの大人たちが
「ば、年どんが来てくれた」
と言って、わっと湧き上がりました。
「さ、年どん、上がってください。」
と母が立ち上がり、私たちのいた部屋にその二人を招き入れ、私と弟は年どんの前に無理やり正座させられました。
私たち4人はTVのある小さな部屋におり(TVはさっさと消されてしまいました)、ふすまを全開にした隣室から大人たちが興味深々で見ていました。
私は年どんの話を聞いたことがありましたが、まさか家に来るとはと思っていました。
年どんは私と弟をゆっくりみて、
「名前と言いなさい。」
といきなりの質問。
ほにゃらら ほにゃららです・・
「声が小さい。年どんは耳が悪いので、大きな声で言いなさい。」
「○○東○ですぅ」
すでに半泣き状態の私。隣では弟が小さくなっています。一番下の弟はまだ3歳にもなっていなかったのでこの試練から逃れ、母の元に隠れていました。
「何歳か?」「得意な勉強は何か?」「いい子にしてたか?」
次々に質問して、答えさせられる私&弟
後ろでは、私たちの様子を笑いながら、見ている大人たち。そんなやりとりが10分くらい続いたでしょうか?

「歌は好きか?」
   (ここで「はい」と応えたら、絶対歌わされる、直感でした)
「いいえ」
「では、お正月を歌いなさい。」
「!!」
・・・好きじゃないと言ったのに・・しかも
「立って歌いなさい」
私と弟はお互い顔を見合わせて、しぶしぶ立ち上がり、「もーいくつねると・・♪」と歌い始めました。
家族とはいえ、大勢の大人たちの前、また得体の知れぬ年どん様前で直立不動で「お正月」を弟と歌わされ、恥ずかしさで半泣きの震える歌声を聞きながら、後ろの大人たちは実に楽しそうでした。
このとき、大人は助けてくれない・・って思いました。
ようやく2番まで歌い終え、へたりこんだ私たちに年どんが
「これからも父ちゃん、母ちゃん、皆の言うことを聞いて、いい子でいるか?嘘をついたら駄目だぞ。」
はい・・
声が小さい
はい!
やっと年どんの家庭訪問は終わりに近づき、「お年玉」といって、大きなお餅をくれました。
これは神様はお金を持たない、お金の代わりになるのがお餅だからだよ、と後で教えられました。
そして、
「これからもいい子にしてなさい。尾岳の山から見ているぞ」
とさらに釘を刺して、白い年どん2人はまた鈴を鳴らしながら帰っていきました。


                          

 数年後、母とこのときの話をしたら
「あーあれは父ちゃんが○○兄さんに頼んだんだよ」と軽く笑われました。
                                               (おしまい)

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私の故郷には大晦日小さい子供のいる家を訪れる年どんという神様がいます。
そう、東北地方のナマハゲのようなもの。(あちらがはるかに有名ですが)
 「その年1年良い子にしていたか?
  悪い子は山(島で一番高い山・尾岳)につれていくぞー
  来年もいい子にしてるんだぞ」

首のない馬に乗ってやってきて、最後にはお年玉(お餅)をあげて帰っていきます。
今もほそぼそと続いているようで、女性も年どんに扮することがあったようです。