〜〜〜 海の思い出 @ 〜〜〜

それはまだ、私が小学校に上がる前のできごと(昭和40年代)
その日、私は親戚の家に泊まっていた。
夜も明けきらぬ時刻に、私は突然揺り動かされ起こされた。
目も頭も覚めきらぬ状態で、手を引かれ自分で歩いていったのか、だれかに抱っこされて連れて行かれたのか覚えていないが、私は防波堤の上にいた(防波堤は砂浜からは3mほどの高さがあり、人家のある道路からは1m足らずの高さという構造であった)。
人影はわかるが、顔はよく見えない明るさだった。
私は砂浜側に両足を投げ出す形で防波堤に座った。
皆、砂浜に注目している。
私は、静かにするように、また、あそこを見てごらんと言われたので、目下の砂浜に目をやった。

最初は何も見えなかったが、目を凝らすと波打ち際と防波堤の中間くらいの位置に何か微かに見えた。
「海亀が卵を産みにきてるんだよ」と聞かされた。

最近はTVニュースで亀の産卵をすぐ間近で見る人たちの映像を見るが、私たちは砂浜に降りることなく静かに遠巻きにその産卵を見守っていたのだ(と、思った)。
少しずつ、夜の闇が薄くなり、水平線の付近が赤くなり始めた。
夜が明け始めた。からすの鳴き声が山の上から小さく聞こえる。
私は飽きることなくこの風景を眺めていた。
いつもと違う大人たちの様子や、夜明け前の暗い海からゆっくりと光を浴び、動き始める海の小波。それが面白かった。

亀が少し動いているような感じがした。
「卵を産み終え、土をかけているんだ」とまた教えてくれた。
やがて、ゆっくり重そうに身体を海の方向に反転させはじめた。
そして、砂をかきながら進み、砂にまみれた身体を波に清められ、海に還っていった・・・。


と、ここまではよくあるお話。
まだ続きがあるのですが、亀(動物)の好きな方、海をこよなく愛される方は気分を害される恐れがあるのでどうぞ読まないで下さい。
それでもいいよという方はどうぞ

    


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海亀が海に還った。
私はすっかり眠気がさめた。まだ、亀の足跡を眺めていた。
すると、大人たちが砂浜に数人下り始めた。
そして、(予想された方もいらっしゃるかもしれませんが、)卵を掘り返したのだ。
最初は人が数人固まっていたので、何をしているのかはわからなかた。
が、しばらくすると少しずつ手のひらにピンポン玉のような卵を持っていた。
もちろん今の時代のように孵化させて、小亀を海に返すようなことはしていなかった。
持ち出した卵はわずかだと思う。この時代の大人の良心を信じて・・・
当時、まだ、贅沢のできない村の生活、栄養豊富な?海がめの卵は「海からの贈り物」と考えていたのだろう(でも、ちゃんと日本の話ですからね〜。私の勝手な推測です)。

私は家に帰った。
そこで、私にも卵が1個渡された。
私はいらないといった。
かわいそうという感情以前に、生卵を飲むのが嫌だったのだ。
小さい頃の私は非常に好き嫌いが多く、困った子供だった。
じゃあ、触ってごらんといわれ、1個手に取った。
見た目はピンポン玉で指で押すとポコンとへっこんだ。
おもしろくて、指で何度もポコポコ押してみた。

こうやって食べるんだ、と親戚のおじいちゃんが卵の殻を1cmほど指で破き、その穴に直接口をつけて、中味を吸い出すように食べた。
そして、私の卵にも指で小さな穴を破いて、開けてくれた。
私は、好奇心に負けて、卵に口をつけた。
小さい私は吸うことも下手だったが、中味も濃厚で喉を通りにくかった。
時間をかけてやっと海の香りのする卵を飲んだ。
美味しくなかった。

海亀の卵を口にしたのはこれが最初で最後である。
きっともう二度とないだろう。
あの亀にはすまないことをしたが、貴重な体験として私の記憶に残っている。
                                   (おしまい)                         

(鹿児島県では昭和63年3月28日に鹿児島県ウミガメ保護条例が公布されています。
 今、同じことをすれば、6月以下の懲役又は30万円以下の罰金に処するという罰則があります・・・)


                         
何故かその後、ウミガメの足跡を砂浜に真似してつけてよく遊んでいた。
何が面白かったんだろう・・・?
満足♪